友人の引越しの手伝いに行ってきました。
その友人は大学時代からの仲で、仕事の失敗やら失恋の話やらなんでも打ち明けられる唯一の存在でした。
友人は読書や映画が好きで、部屋の床には棚から溢れ出た本やDVDが山と積まれていました。
友人はダンボールに聞かなくなったCDや処分してもいい本、DVDを無造作にどんどん放り込んでいきました。後で、買取り業者に渡すということです。
テキパキとそうした不用品を片付けていましたが、友人の手が少し止まる瞬間がありました。
友人は小さな箱を手にしてそれをしばらく眺めていました。その小箱にはプレゼント用の帯がかけられていました。
誰かからのプレゼントなのか、それとも誰かに渡すプレゼントだったのか。
たぶん、僕は後者のほうではないかと思いました。
友人は高身長のイケメンでもなく、ずんぐりとした体躯の、どちらかというと地味な性格で女性に好かれるようなタイプではありません。
好きな女性がいても、たぶんダメだろうと、告白をためらっては、酒の席でこぼすような人間でした。
それまで、女性に何度もフラれた経験がありますからそれも仕方ないのかも知れません。
大学3年の冬休みの時のことです。その友人は、地方のキャンプ場でアルバイトをしていた時、地元の一つ年上の女性に一目ぼれをしてしまいました。
大学に戻ると、友人は、僕にどうしたらいい、と相談してきました。
彼女への熱の入れようは相当なもので、夜も眠れないといいます。
僕は冗談で、少し高めのブランド物のネックレスとかプレゼントしたらどうか、とアドバイスしました。
友人も、それで女性の気を引くことができる、と思ったのかも知れません。
友人はそれからしばらく大学に出てきませんでした。どうやら、そのプレゼントを買うために日ごとバイトに精を出していたようです。
その後、友人はそのプレゼントを女性に手渡すために、ふたたび女性の元を訪ずれますが、その時すでに、女性は地元の裕福な男性と結婚することが決まっていたそうです。
結局、友人はプレゼントを女性に手渡すこともなく、酒を飲みながらボソボソとその経緯を僕にこぼしました。
あの時の、好きだった女性に手渡すことのできなかったプレゼント。 僕は、そう察しました。
大学時代、僕も友人も貧乏で、お互いに金を貸し合ったり、なんでこんな境遇に生まれたんだろうとボロアパートで安酒をかわしながらよくぼやいたものです。
友人がなにより悔しかったのは、フラれたことより、女性に難なく高価なものをプレゼントできる身分の人間もいるのに、なぜ自分は、バイトでさんざん苦労しなきゃいけないのかということでした。
友人は、時折、その渡せなかったプレゼントを手にしながら、悔しさに震えたのかも知れません。
それがきっかけになったのか、その後、友人は猛烈に勉強するようになりました。
女性に思いが告げられなかったことの悔しさをバネに頑張ったのだと思います。大学を卒業すると、友人は上級公務員の試験にも通りました。
僕は、そのプレゼントの小箱をどうするんだろうと友人の手元をぼんやり見つめていました。
「思い出も一緒に買い取ってくれるところがあるといいんだけどね」
友人は、そうつぶやくと、ていねいに小箱を買取り用のダンボールに収めました。
まるでそれは、小箱に感謝の言葉でもかけているかのような、とても穏やかな口調でした。
スイス・マッターホルンのふもとにある小さなカフェ。
少しばかり白い息を吐きながら、美味しそうに珈琲を飲んでいる一人の日本人女性がいました。
目の前の青く澄んだ空の一角にマッターホルンがそびえ立っています。
ここで、思いっきり背伸びをして深呼吸したいと真由美さんはずっと思っていました。
真由美さんは、22歳で結婚し、10年間夫に連れ添いましたが、夫の度重なる浮気に嫌気がさし、1年ほど前に離婚の訴訟を起こしました。
毎日、重苦しい気の晴れない日々が続きました。ストレスによる過食症から嘔吐を繰り返し体調もすぐれませんでした。
ある時、部屋を掃除していると、学生時代の古いアルバムが出てきました。そこに、大学時代に女友達と3人でスイス旅行をした時の写真がありました。
あの頃は、ホントに楽しかった。スイスの山々や田園風景を見ていると真由美さんの心は癒されました。
もう一度あそこに行ってみたい。あの頃に戻りたい。この辛い日々をリセットしたい。真由美さんの思いは日ごとつのりました。
真由美さんは、そのために身の回りの物を全て処分しようと考えました。夫との思い出のある品物は全て。貴金属やブランド品の数々、そして今、1人で住んでいるマンションさえも。
古着を脱ぎ捨て、再出発したい。真由美さんは強く思いました。
カフェの周りには温かな陽だまりがたくさんできていました。
真由美さんは、バッグの中の日本から持ってきた小さなアルバムを取り出し、懐かしげにめくりました。
そこには、真由美さんが唯一処分したくなかった大切な思い出がたくさん詰まっていました。
その中に、大学時代、キャンプ場でアルバイトをした時に仲間たちと一緒に撮った写真がありました。
そこには、真由美さんに好意を寄せていた男性もいました。その男性は、好みのタイプではなかったけれど、とても親切にしてくれたことをよく覚えています。
夫にとって、私は不用品も同然だった。でも、私のことを大切に想ってくれる人はきっとどこかにいる。そう思うと自然と心が温かくなりました。
その写真の男性は真由美さんより一つ年下で、とても努力家だったのを覚えています。
きっと今頃りっぱな人になっているだろう。
真由美さんはマッターホルンの頂を見ながら、遠い日の記憶に思いを馳せました。