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東京の空に粉雪が舞っていました。

沢山積もって真っ白になるといいな。懐かしい故郷の北海道の平原に積もった雪を亜美さんは思い浮かべます。

TVではニュース番組のキャスターが明日から交通機関に支障が出るかも知れない、転倒して怪我をしないようにと注意を促しています。

これくらいの雪で、なぜ、そんなに大騒ぎするのか、亜美さんは不思議で仕方ありません。

今日は婚活パーティが開催される日です。

亜美さんは朝から自分のデザインした洋服のコーディネートに余念がありません。鏡の前で何度も色合いをチェックします。



亜美さんが東京で暮らすようになって8年が経ちます。いつも頭に浮かぶのが故郷の北海道で一人暮らす母親のことです。

亜美さんはまだ小さかった頃、いつも母親が内職の裁縫の仕事をしている傍にいて、お人形さんの小さな洋服を作っては着せ替えをして遊ぶのが好きでした。

白い雪のようなドレスを着たお人形さんを、自分の分身でもあるかのようにいつも眺めていました。

大きくなったら亜美ちゃんは何になりたいの、とお母さんが聞くと、亜美さんはすぐさま、「ようふくやさん」と答えたものです。

しかし、成長するにつれ、その夢もいつしか口にすることがなくなりました。時々TVや雑誌でみる、たくさんのカメラのフラッシュを浴びて輝くモデルたちの華やかな世界と、自分の住んでいる雪深い片田舎のくすんだ景色とを常に比べてしまうのです。

きらびやかなファッションの世界に身をおくことなど、とても分不相応で、あり得ないことだと思うようになっていました。



高校を卒業すると、亜美さんは地元の小さな縫製工場に就職しました。

東京に行って、服飾の専門学校に通い、本格的にファッションの勉強をしてみたいと思ったこともありました。が、経済的にそれは無理なことも十分わかっていました。

小学生の時に、両親が離婚し、亜美さんは母親と二人で暮らしていました。日々の生活がやっとで、ファッションの勉強に費やす時間や経済的な余裕などとてもなかったのです。

しかしそれでも、ファッションの世界への憧れは、亜美さんの心の中で小さな灯火のようにゆらめいていました。

高校時代の友人の加奈さんとは、休みの日、よく洋服のデッサンをしてファッション談議に話を咲かせたものです。

「亜美ちゃん、やっぱ絵じょうずだわ」

そういって加奈さんは、亜美さんの描くドレスの絵をよく褒めました。

「東京の学校でちゃんと勉強したら、亜美ちゃん、将来きっとすごい人になるよ」

「でも、うちはお金ないし、ここにいて、母さんを楽させたいから」

いつもそういって亜美さんは加奈さんの言葉をさえぎっていました。

< 私一人、好きな夢を追いかける生活なんてとてもできない >内職をしながら育ててくれた母親にとても申し訳ないと思ったのです。



亜美さんが地元の繊維工場で働くようになって3年ほど経った頃、亜美さんに転機が訪れます。

その繊維工場の親会社の専務が亜美さんのデッサンに目を止め、東京の本社でちゃんと勉強してみないかと誘ったのです。

亜美さんにとって、願ってもないことでした。ただ、心配なのが、あまり体が丈夫ではない母親を、一人北海道に残して上京することです。

このまま地元にいて、良い人がいたら結婚して、母親の傍で暮らしたいと思っていたのです。そのこともあって、亜美さんは東京に行くことをためらいました。

ファッションデザイナーは小さい頃からの夢です。本格的に勉強して、その道が拓けるのなら、それほど幸せなことはありません。しかし、プロとしてやっていくのはとても狭き門です。それが大変なことは亜美さんにもよく分かっていました。

はたして自分にどれほどの才能があるのか、厳しいファッションの世界で一人立ちできるのか、常に不安がつきまといます。

夢はあくまでも夢、自分のような田舎者が入り込めるような世界じゃない、現実はそんな甘いものじゃない。いくら周囲からデッサンをほめられても、亜美さんは自分に自信が持てませんでした。

そんな亜美さんの不安を取り払ったのがお母さんの言葉でした。

「お母さんね、あなたがまだ小さくて、お人形さんの着せ替えをして遊んでいる時、もしかしたら将来、ファッションデザイナーになりたいっていうかもしれない。もし、どうしてもっていったら、大変な世界だけど、応援してあげようと思ってたの。それはお母さんの若い頃の夢でもあったから」

そういって、お母さんは亜美さんに貯金通帳を手渡しました。亜美さんの夢のために、貧しい生活の中、コツコツとお金を貯めていたのです。



亜美さんは東京に行って、仕事で辛いことがあると、あの時のお母さんが渡してくれた貯金通帳をよく取り出して見ます。それをまるでお守りのようにしていました。

ファッションの勉強を一生懸命して、有名になってお金持ちになったら、お母さんを東京に呼んで一緒に暮らそう。いつも、そう思っていました。

慣れない、東京という大都会での一人暮らし、行きかう人々や車の目まぐるしさに亜美さんは毎日驚き、もたつき、右往左往していました。

東京の会社は、亜美さんが働いていた北海道の小さな縫製工場とは、なにもかも雲泥の差がありました。

亜美さんのドレスのデザインセンスは上層部から高く評価されましたが、それと裏腹に、亜美さんの才能に嫉妬する会社の先輩や同僚から「垢抜けない田舎者」と陰口をたたかれることもありました。

誰の仕業かわからないけれど、何日もかけて描いたデッサンの図案が切り裂かれていたこともありました。華やかな世界に渦巻く人々の嫉妬やねたみにうんざりさせられることも度々でした。

北海道に帰りたい。何度そう思ったことでしょう。時に自分の才能の限界を感じ、自暴自棄になり、お酒に逃げたこともあります。

しかし、そんな時に、いつも思い出すのが、東京へ旅立つ日のことでした。

「亜美ちゃん、元気でね、頑張るのよ。都会の人に絶対に負けちゃダメよ」といって加奈さんは、亜美さんにデッサン用のノートを差し出しました。「無理しちゃだめよ。体に気をつけてね。ご飯ちゃんと食べるのよ」そういってお母さんは亜美さんにおにぎりのお弁当を手渡しました。

白い粉雪の舞う吹雪の中、いつまでも二人は手を振りながら見送っていました。

< 必ず、有名になって、りっぱになって帰ってくる >亜美さんは、泣きながら、お母さんの作ってくれたおにぎりを頬張ったのを覚えています。

仕事で辛いことがあると、亜美さんはいつもあの時のことを思い出します。自分を応援してくれる友。そして服飾のデザイナーになりたかったという母の夢。

二人の想いのためにも、亜美さんは歯を食いしばって仕事にとりくみました。好きなデザインに没頭していると、嫌なことも忘れました。「垢抜けない田舎者」がこの世界で成功するには人一倍努力することしかないと思っていました。





そして、3年経ち、5年が経過しました。

会社で亜美さんは重要なポジションについていました。コンテストで何度か賞もとりました。亜美さんのデザイン抜きでは会社も立ち行かないほどになっていました。

ミラノやパリにも何度か足を運びました。華やかな光と歓喜の饗宴に湧くステージでは、スタイリッシュなモデルたちが美を競っています。

貧しい生活をしていた、少女の頃に夢みた世界、北海道の縫製工場で休み時間に雑誌を広げては見入った世界、友人の加奈さんと洋服のデッサンをしながら語り合った、きらびやかな世界が目の前に広がっています。

何度目かのパリコレで、ショーが終わり、会場を出ようとした時、「アミさんですね。あなたの噂はよく聞いています。あなたの作品は大変素晴らしいですね」と背の高い老紳士に握手を求められたこともあります。外資系の有名なアパレルメーカーのトップでした。

気が付くと、亜美さんは30近くになっていました。それまでに、付き合った男性もいました。しかし、結婚には至りませんでした。

いつも亜美さんの心の中にあったのが、北海道に一人で住んでいる母親のことでした。母親を東京に呼んで、一緒に住みたいと思っていました。それでもいいといってくれる男性を亜美さんは望んでいたのです。



東京の空に粉雪が舞っていました。路面は何年かぶりかの白い雪におおわれています。

これから明日にかけ、さらに強く吹雪きそうな気配です。

白い粉雪は、亜美さんにとって幸福の扉を開く使者です。

きっといい人が見つかる。

亜美さんは、婚活パーティの会場の扉をそっと開けました。