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美幸さんは早朝の海を眺めるのがとても好きでした。

日が昇って少し経った頃の、海面にゆらぐ光のさざめきや海鳥の鳴き声。

海風を吸い込んで、大きく背伸びすると、辛い過去の想いが身体から抜けていくようでした。

職場には2時間近くかかりますが、美幸さんはどうしても海の傍で暮らしたいと思っていました。

裸足になって砂を踏みしめ、砂を手の平からサラサラと流すと、あの日の涼太君との思い出がよみがえります。



2年前に亡くなった涼太君。

看護師でありながら、涼太君の命を救うことができなかった。その思いに美幸さんは幾度となくさいなまれることがありました。

涼太君とは1年ほどの付き合いでした。お互いが結婚を意識していました。

ある日、美幸さんが勤務していた病院に大怪我をした涼太君が運びこまれてきました。

サーフィンが大好きだった涼太君、海での怪我ではありません。陸での交通事故によるものでした。

久しぶりに、良い波の乗れたと上機嫌の仲間たちと軽くお酒を飲んだのが禍(わざわい)しました。車での帰り、猛スピードの対向車とすれ違いざま、ハンドルをとられ、民家のブロック塀に車を激突させたのです。

病院に3人の若者が担ぎこまれた時、涼太君は全身打撲で意識もなく、運転していた男性もすでに手のほどこしようのない状態でした。

運びこまれた若者たちの日焼けした体が血だらけになっている惨状を美幸さんも目の当たりにしました。

あんなに元気で快活だった涼太くんがぐったりと衰弱し、一体どういう処置をすればいいのか、何をしてももう助からないだろうという現実に、美幸さんは絶望してしまいました。

ほどなく、運転していた男性と涼太くんが亡くなったという知らせを受けました。

看護師という職に就いていながら、自分は何の役にも立たなかった。愛する人の命を救うこともできなかった。一晩中、美幸さんは泣き明かしました。

3年ほど勤めた病院でしたが、そこを美幸さんは辞めました。

しばらく旅をして、これまでと違う空間に身を置きたい、辛い現実から逃れたいと思いました。

しかし、旅をしている間も涼太君との楽しかった思い出が幾度となく胸をよぎりました。



涼太君との出会いのきっかけは、美幸さんが友人の看護師に送ったFAXでした。いつもはメールで送っていたのですが、その日はたまたまFAXで送り、 FAX番号の一番下の数字をうっかり間違えてしまいました。

すぐに送った先からメールが来ました。それが涼太君でした。

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間違ってこちらにFAXが届いたようです。看護師さんなんですね。自分はサーフィンが好きで僕も仲間もしょっちゅう怪我ばっかりやってるんで、いつかお世話になるかもしれません。その時はよろしくお願いします。

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そんな内容でした。涼太君のfacebookのアドレスもありました。

サーフボードを抱いた真っ黒な身体に笑顔が印象的で、年齢は美幸さんと同じくらいです。しかし、みるからにサーファーといういかつい感じはありません。どちらかというと、始めて間もない自称サーファーといったふうです。

ごめんなさい。間違ってFAXしてしまいました。○○病院に勤務していますので、怪我の処置なら慣れています、といった簡単なメールを美幸さんは返しました。

その3日後、涼太君からメールがありました。サーファー仲間の一人が酷い打ち身をして、どう処置したらいいかというものでした。

facebookをみると、確かに仲間の一人が辛そうに顔を歪めています。美幸さんは知る限りの対処法を涼太君にメールしました。

facebookでの、そんなやり取りを数回繰り返した後、お礼をしたいから一緒に食事でもどうですか、知り合いに看護師さんがいると僕らも心強いです、というメールが涼太君から来ました。

facebookには仲間たちの写真とお気に入りの海辺のカフェの写真が載っていました。

涼太君は美幸さんより2つ年上の28歳で、実際に会うと写真で見るよりイケメンでした。

それからしばらくして、美幸さんと涼太君は交際するようになります。

休みの日には、美幸さんも涼太君のサーフィンに付き合いました。美幸さんはサーフィンに特に関心があったというわけではありません。が、窮屈な病院と違い、海での開放感はとても代えがたいものでした。

暮れかかった海で、「いつか結婚できたらいいね」と涼太君が小さくつぶやいたことがあります。海鳥の鳴き声にかき消され、美幸さんが「聞こえないよ」というと涼太君が照れくさそうに微笑みを返しました。

真っ赤な夕日が空を染めた頃、二人はお互いを見つめながら、唇を重ねました。



涼太君が亡くなって、一人旅に出た美幸さんでしたが、浮かぶのは涼太君との楽しかった思い出ばかりです。

旅の途中、海辺の街にふらりと下車しました。貯金がもう底をつきかけていました。

やはり、住むんだったら海が見えるところがいいと美幸さんは思いました。幸いにも、イメージしたような手頃な物件がありました。

美幸さんはその海辺の街で暮らすことにしました。一人旅に出て半年ほど経った頃のことです。

必要な家具を揃え、落ち着くと、涼太君の母親に手紙を書きました。そして、看護師でありながら涼太君を救うことができなかったことを詫びました。

数日後、涼太君の母親から手紙が届きました。

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美幸さん、お元気ですか。

涼太のことであなたにとても辛い思いをさせてごめんなさい。涼太はあなたのことが好きで、結婚するんだといっていました。

サーフィンであんな事故になって、いまさらながらに私は自分のことをせめています。涼太は子供の頃からとても体の弱い子で、海に対しても人一倍怖がりでした。

それで、サーフィンでもやったらって私が勧めたのです。それが結果的にあんな事故になってしまって。全て私の責任です。一生懸命看護してくださったあなたにとても感謝しています。

病院を辞めて、違う所にいかれたのですね。それも全て、涼太や私たちのせいだと責任を感じています。

海の近くに住まわれているそうですね。もし、涼太のことを思ってそうなさったのなら、どうかもう涼太のことは忘れて、良い人をみつけて幸せになってください。

とても身勝手な言い方かも知れませんが、どうかあなたは自分の幸せのことだけ考えて生きてください。

辛いことかもしれませんが、死んだ人間はもうどんなに思っても帰ってはきません。あなたは、自分の人生を生きて幸せになることだけを考えてください。涼太もきっとそれを望んでいるはずです。

美幸さんが幸せに生きてくださることを、涼太もきっと願っているはずです。

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いつか涼太君と一緒にみた、きれいな夕焼けを、
美幸さんは、一人ぼんやりと時が経つのも忘れて見入っていました。

私が幸せになることが、涼太君のお母さんや涼太君の願い・・・

いつかまた、この夕日を一緒にみてくれる人が現れるだろうか。

でも、たぶんそれは涼太君に似た人だろうな、と美幸さんは思いました。