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聡子さんがその離島を訪れるのは1年ぶりです。

フェリーのバルコニーに立っていると、海鳥の鳴き声が聞こえてきます。あと30分もすれば、島に到着します。

今日は、島の青年のマサルくんと、1年前に再会を約束した日です。

きっと、マサルくんは約束を守ってくれる。

必ずそこに行けば会える。聡子さんはそう信じていました。



今から1年ほど前、

とある県で、年々若者が都会へと流出し、過疎化が止まらないことを懸念した市長らが、適齢期の男女を引き合わせようと、街コンの企画を業者に委託しました。

街コンの開催場所は数カ所に分かれ、その中に、離島での婚活イベントも含まれていました。

その離島は、人口が1,000人ほどで、適齢期の男性は都会に出たきりで、島に残っているのは漁業や農業で生計を立てている若者がほとんどでした。

街コンのPRパンフは、「海と山、自然に囲まれた豊かな暮らしがあなたを待っています」と謳い、他県からの女性の参加者を呼びかけていました。

ありふれたキャッチフレーズでしたが、それを手にした時、なぜか聡子さんは心の中の棘立ったものがスッと取り払われていくような気がしました。

仕事でストレスが溜まっていたのかも知れません。夕日の沈む海に浮かぶ離島のシルエットがとても幻想的で、写真でみる島民の穏やかな顔や素朴な暮らしぶりにも心が和みました。

都会育ちの聡子さんでしたが、子供の頃から、自然の中でゆったりと暮らしたい、海や山が身近にある暮らしがしたい、といつも思っていました。

27歳になって、会社でのオペレータとしての仕事の腕を上司から高く評価されてはいたものの、体力的に限界を感じ、精神的にも満たされない日々が続き、心はいつもざわついていました。

結婚適齢期ということもあり、聡子さんは結婚を強く意識するようになっていました。

奥手の聡子さんはそれまで男性と付き合った経験がありませんでした。離島での街コンのPRパンフを見た時、もしかしたら理想の男性と出会えるかも知れないと思いました。



離島で婚活イベントが開催される前日。

聡子さんは、キャリーケースに3日分の衣類やら必要なものを詰めて身支度をしました。

離島は本土から、フェリーで1時間半ほどの所にありました。日常生活に必要な食糧や医療品は日に3回、本土から定期便のフェリーが運んでいました。

大半の島民は漁業や農業を生業としていました。台風の時期には甚大な損害を被ることもありましたが、それを差し引いても、豊かな自然に恵まれた島民の家族同然の穏やかな暮らしは、余りあるものでした。

離島での婚活イベントは、小学校の体育館で行われました。そこで、男女30人ほどが入れ替わり、自己紹介を行いました。もちろん、男性はみな島民で、30歳前後の漁業や農業を営む若者たちです。

聡子さんは、その中の一人、マサルくんという32歳の色の黒い漁師の男性に心惹かれました。髪を短めに刈り込んだ、素朴で、はにかみやの青年でした。

少しあがり症なのか、時々どもったりもしましたが、そんなところも本土の同年代の男性にはない新鮮な魅力に映りました。

聡子さんとマサルくんは、すぐに打ち解けて仲良くなりました。

婚活イベントを終えると、マサルくんは聡子さんの手をとり島を案内しました。聡子さんが島に滞在している2日間、時に、マサルくんはボートでの島巡りにも誘いました。

島は緑の樹々も豊かで、林の中を歩きながら、新鮮な大気を大きく吸い込むと、ゆったりとした安堵感に包まれました。

聡子さんが島を離れる日、マサルくんは、島にある小さな神社に誘いました。そして、そこで、二人は約束をしました。1年後、もしこのままずっと二人が付き合っていたら結婚しようと。

マサルくんは、都会育ちの聡子さんがこの不便な島の生活に耐えられるかどうか心配でした。

のどかな生活とはいえ、島民がみな、経済的に潤った生活を送っているというわけではありません。映画館のような娯楽施設もなければ、交通の便も悪い、都会のような楽しみは皆無の離島です。豊かな自然は時に獰猛にふるまい、残酷な爪痕を残すこともあります。

もし1年後も、この島で生活してもいいという気持ちが変わっていなければ、一緒になろうとマサルくんは聡子さんと約束を交わしました。



二人はその後、メールや電話のやりとりでお互いの気持ちを確かめ合いました。大漁だったとマサルくんが箱一杯に盛られたサバの写メを送ると、今、お昼でコンビニ弁当を食べている、と聡子さんも写真を添付して送信しました。

夏から秋、秋から冬と、二人はお互いの日常のささいな風景を切り取った画像をメールで送り合いました。

1年間は会わないという約束でした。そうしたメールの交換だけで二人はお互いの気持ちを確かめ合いました。



そして、1年が過ぎ、二人が再会を約束した日が近づきつつありました。

聡子さんは、ほぼ毎日のようにマサルくんにメールをしていました。しかし、再会の1カ月ほど前からマサルくんからの返信が途切れがちになりました。

メールの内容も、以前のような誠実さが感じられなくなりました。何度かそうしたことが続いたため、聡子さんはマサルくんに電話で確かめてみました。

その時、マサルくんの口から出た言葉が、「他に好きな人ができた。僕のことはどうか忘れて欲しい」というものでした。



それから、一切マサルくんからメールが来なくなりました。聡子さんがメールを送ってもまったくなしのつぶてです。

マサルくんに直接会って本心を聞きたい。聡子さんはどうしてもマサルくんのことが忘れられませんでした。

もしかしたら、これが最後のメールになるかも知れない。聡子さんは、「あの神社の前で待っている。どうしても会いたい」とマサルくんにメールをしました。

すると、しばらくしてマサルくんからメールが来ました。

「聡子さん、ごめんなさい。あなたとの約束が守れなかった僕をどうか許してください」。胸がつまるような言葉でした。

マサルくんとはもうだめかも知れない。もうあきらめるしかない。聡子さんはすっかり打ちひしがれてしまいました。

すでに、マサルくんの心は私から離れている。もう、離島へ行っても仕方がない。数日、聡子さんは仕事も手につかず、食欲もわきませんでした。

周りの同僚や上司も仕事でのミスが頻発するようになった聡子さんを心配しました。

信頼していたマサルくんから突然別れを告げられ、何日も聡子さんは眠れない夜を過ごしました。

天井を見つめながら、1年前、仕事で精神的に追い込まれていた時、心にやすらぎを与えてくれた、あの離島の夕日や黄金色の海をもう一度見てみたい。

もう一度だけ離島に行って、あの景色を心に焼き付けて、マサルくんのことはきっぱり忘れよう。聡子さんは、ぼんやりとそんなことを考えていました。



フェリーが離島に着くと、聡子さんは、マサルくんと約束した神社に向いました。

島の人々の暮らしは、まるで時が止まったかのように、あの頃と全く何も変わっていません。できるものなら、この離島でマサルくんとずっと一緒に暮らしたかった。聡子さんは夕日で黄金色に染まる海を眺めながらマサルくんとの出会いを振り返りました。

もしかしたらという淡い期待もありました。しかし結局、約束した時間になっても、マサルくんは現れませんでした。

本土へ向かう船の最終便の時刻が迫っていました。

聡子さんは、フェリーに乗り込むとテラスに出て日の沈む海の風景を眺めました。もう二度とこの夕日をみることはない。こんな自然の中で暮らしたかった。聡子さんに未練が残りました。

フェリーは次第に島から遠ざかっていきます。夕日に染まる海と空の間で離島が幻想的なシルエットを描いていました。

ふと、聡子さんは岬の突端に目を向けました。と、その時、島の岬に立つ一人の男性の姿が目に入りました。姿形がマサルくんによく似ていました。まさか、マサルくんのはずがない・・・聡子さんはぼんやりとその人影を目で追いました。

その岬に立つ人影は微動だにせず、フェリーが遠く離島を離れるまで、そこに立ち尽くしたままでいました。



マサルくんは1カ月ほど前、医師からがんの末期と診断されていました。マサルくんは耳を疑いました。なぜ、30代の若さでがんになるのか、医者の言葉がとても信じられませんでした。

誤診ということもあり得ます。本土に行って、大学病院でも診てもらいました。しかし、そこでも同じような診断結果でした。

マサルくんは、1カ月後には、聡子さんと再会し、神社の前でプロポーズをするつもりでした。

どうすればいいのか毎日悩みました。医師からは長くて余命1年と宣告されています。治療をするにしても膨大な費用がかかります。

マサルくんは両親と妹との4人暮らしです。働き手のマサルくんが一家の生計を支えていました。聡子さんと結婚をすれば、みすみす大きな不幸を聡子さんに背負わせることになります。

マサルくんは、聡子さんからのメールに「他に好きな人ができた」と答えました。

何度も送られてくる聡子さんからのメールに「僕のことはもう忘れて欲しい」と返しました。



夕日で紅色に染まる海と空。

マサルくんの目に、遠く離れていくフェリーがいつまでも映っていました。

どうか、幸せになってください・・・マサルくんは、ずっと立ち尽くしたまま、心の中でいつまでもそう叫んでいました。