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草津よいとこ、どころではなかった話

温泉が好きで、たまに時間がとれると、ブラリと温泉旅に出かけます。

ひと頃、よく草津温泉に行っていました。お金があまりなかった頃、新宿から高速バスで4時間近くかけて、草津に行き、素泊まりで確か3,500円の宿に泊まったのですが、ここがまたエグイところで。管理人のパンチパーマのごついオバさんが、なんというか、男の一人旅で、しかもこんな安宿になにしに来たんだか、わけありのいわく付きの人間か、というような目で僕を睥睨し、僕が邪気のない清らかな目で、温泉水って飲めるんですよね、と訊くと、「あんたねえ、ここは強酸水だから、死ぬよ」と言い放って奥の部屋に消えていったのです。どうも男の一人旅というのは、何かよからぬことでも考えているんじゃなかろうかと、昔も今も敬遠されがちなのです。

それは仕方がないとして、その宿の風呂(もちろん草津の源泉)は24時間入り放題なので、夜中2時頃、書き物で疲れたので一風呂あびて部屋へ戻ったのですが、ドアが開かないのです。かなり老朽化した宿なので、どうもドアの金具のカギがゆるくなっていて、出ていく時に内側から自然にかかってしまったようなのです。何度押したり引いたりしても、留め金のカギがはずれそうもありません。

どうしようか、と途方に暮れたのですが、とりあえずオバさんの機嫌をそこねないように起こさねばと、受付の小窓を開けたのですが、そこに人の気配がありません。さらに、泊まり客は確か僕一人だったかな、と思い出したのですが、そんなことに気がついたところで、事態はさらに逼迫さを増すだけです。そのうち、壁の雨の染みまで怪しいものに見えてきて、ひぇ~と急速に湯冷めを覚え、こうなったら仕方ないと腹を決め、台所の椅子を寄せ集めて横になったのです。

ところが、しばらくして眠気を覚えるものの、季節は2月半ばでどうしようもなく足先が冷えて仕方がないのです。それで、また風呂に身体を温めに行くのですが、結局こういうことを朝方まで3,4回繰り返したでしょうか。

結構これは拷問に近いものがあって、というのも、草津の湯に漬かり放題というのはいいのですが、そこの湯がまた熱めで、しかも源泉に3分も入っていると身体中がチクチクして、そのうち痛いという感覚に襲われるのです。ですから、ウルトラマンのようにシュワッチと湯船からあがって、しばらくしてはまた入るということを何度もやるわけです。

状況をわかりやすく解説しますと、眠い、寒い、熱い、そして痛い、この宿には一体誰もおらんのかい、眠いし、寒いし、熱いし、加えて痛いし、こんな宿に二度と来るものか、の繰り返しなのです。服を着てはまた裸になり、とそんなことを人々のすっかり寝静まった丑三つ時に飽きもせず3回、4回とやっていたのです。誰かに呪いをかける儀式ではありません。漆黒の闇に包まれた草津の朽ちかけた宿で俺は一体何をしているのだろうか、何のためにこの世に生を受けたのだろうか、来世はいい人生だろうか、と哲学者のような面相で自身の運命に立ち向かったものです。

といっても、やはり草津はいいとこです。

別の宿に泊まった時は、「大滝の湯」という有料の共同浴場によく行きました。ここは草津でも有名な大浴場で露天風呂からサウナ、打たせ湯、木の湯船のあわせ湯まであって、スキー客や観光客でいつも賑わっています。ここで露天風呂に入って木々に降り積もった雪を見ながら、憂いに満ちた瞳でぼんやりと過ぎ去りし日々の感慨にふけったり、腹の贅肉をなんとかしなければとつまんだりしているのもまたいいものです。