No.10 不可解な杉町の言動
杉町は全く不思議な男だった。どこかつかみどころがなかった。親密になればなるほど余計に自我を固い殻で覆い、本性がそこから滲み出そうになるとあわてて仕舞い込んでしまうようなところがあって、どうにも割り切れないものを感じた。
たまに杉町を部屋に呼んで木沼さんと3人でトランプや花札をして遊ぶこともあったが、寡黙といっていいほどほとんど自分のことは何も話さなかった。
杉町から聞き出したことと言えば、いつか食堂で一緒に食事をしていた初老の男が父親で、彼と方々の飯場を渡り歩いているということだけだった。どこの出身かさえも杉町はけっして明かさなかった。
7月半ば、僕はふと広島の実家へ電話をしておこうかと思った。ここ1ケ月あまり電話してなかった。荻窪のアパートにいないことがわかると何かとまずいため、定期的に電話をする必要があると思った。 電話口には母親が出た。僕からの電話だとわかるとうろたえたような声で今どこにいるのとか、どこでどうしてるのかと母親は一方的に訊き、僕が言葉を返す間もなく、「電話を切っちゃあだめよ」と言い、2、3分後に父親と替わった。 父親は「いまどこにいるんだ」と電話口で怒った。刺々しい耳の底にまで突き刺さりそうな怒り方だった。遂に来るべきものが来たかと僕は腹を決めた。 肝臓ガンで入院していた父親の兄にあたる僕のおじが3週間程前に亡くなり、そのことで荻窪の僕の部屋へ電話したが、何度しても出ないので不審に思い、大家に尋ねたらしい。 いつかこんな日が来るかもしれないと覚悟はしていたので、落ち着いた声で、「とても元気だから心配いらない」と答えたが、全部言いきらないうちに、「大学はどうするんだ」という父親の怒声が受話器の奥から響いた。 僕の現在の居場所を知りたがったので、「千葉の柏というところの飯場にいる」と正直に答えると、父親は呆れたような声で「何故そんな所にいるんだ」と言い、「何のために高い学費を出して大学に入れてやった」と怒鳴り、「大学へ行かないんなら仕送りは差し止めにする」と息巻いてかってに電話を切ってしまった。 電話を終えたあと、どうしたものかとしばらく僕は立ちすくんでしまった。あらかじめ予想はしていたが、現実に仕送りを止められるとなると、これから先、自ら学費を稼ぎ、自活していかなければならない。悠長に遊んでいる暇などない。 肩を落として部屋に戻ると、杉町が部屋に来ていて、木沼さんと五目並べをしていた。
「元気がないね。クズミくん」
心配そうに木沼さんが僕に声をかけた。
「いろいろありましてねぇ。悩み多き年頃ですから」
しょぼくれた声でそう答えると、
「ふられたのかな。また」
と、木沼さんが僕をからかった。僕が浮かない顔をしているとどうも女にふられたように見えるらしい。沢村に笠間由里のことを見破られた時も、こんな顔をしていたのだろうか。 その夜、3人でトランプをしながら、大学に帰ると待っている女が10人ほどいると僕はホラを吹いたが、杉町も木沼さんも僕の話にはまともにとりあわず、トランプに熱中していた。
それから3日ほど経った夜、風呂から上がったばかりのところを杉町の父親に声を掛けられた。
「健治と仲良くしてもらって……」 そう言って老人は短く刈り込んだ白髪頭を深々とさげた。年の頃は60過ぎに見えた。老人は首にタオルを巻き、灰色の埃っぽい作業服を着ていた。伏目がちで、誠実な人柄が顔に出ていた。日に焼けた顔をなぞるシワには人生の憂苦が一つひとつ刻印されているかのようだった。 丁重な物腰に恐縮し、僕も同じように頭を下げた。老人が顔を上げた時、杉町に似ていない、という印象を受けた。親子にしては何か不釣合いな感じがした。
「あの子は事故で記憶を失っていて……友達もいません……あの子といい友達になってやって下さい」
老人は途切れ途切れにそう言うと、また深々と僕に頭を下げた。 記憶喪失……あの杉町が……。僕は杉町からそんなことは一切聞かされていなかった。老人の言葉で、杉町から感じていた不可解な言動の正体がわかったような気がした。 杉町の、どこか憂いを含んだような顔も、いつも遠くを見ているような虚ろな目つきも、まるで煙を掴むようなとらえどころのない性格もそれが起因していたのかと思った。 老人と別れて部屋に戻る途中、杉町の言動の一つひとつを振り返った。杉町を覆っていた殻が破れ、そこからほんの少しだけ彼の素顔を垣間見たような気がした。 --- が、何だろう……何故か、そう言われても、何か釈然としないものが残った。何か割り切れないものが胸でくすぶって、どうにもそれが引っ掛かった。 杉町のバイクへの熱の入れようは日ごとに増すばかりだった。仕事を終え、飯場に帰り着いた僕を見るや、杉町は駆け寄りバイクを使わせてくれと催促した。それを断ろうにも断れない切迫さが杉町にはあった。 もしかして、記憶を失ったこととバイクが何か関係があるのだろうか……。ひょっとしたらバイクを自由に乗り回すことで失われた記憶の一部でも取り戻すことが出来るかもしれない。そう思い、僕は杉町の望む通りにした。 休日ともなると、ほとんど1日、杉町をバイクの後ろに乗せて遠乗りし、実地で道路標職の見方や走行テクニックを教えた。
No.11 杉町の秘密
7月半ば、僕はふと広島の実家へ電話をしておこうかと思った。ここ1ケ月あまり電話してなかった。荻窪のアパートにいないことがわかると何かとまずいため、定期的に電話をする必要があると思った。 電話口には母親が出た。僕からの電話だとわかるとうろたえたような声で今どこにいるのとか、どこでどうしてるのかと母親は一方的に訊き、僕が言葉を返す間もなく、「電話を切っちゃあだめよ」と言い、2、3分後に父親と替わった。 父親は「いまどこにいるんだ」と電話口で怒った。刺々しい耳の底にまで突き刺さりそうな怒り方だった。遂に来るべきものが来たかと僕は腹を決めた。 肝臓ガンで入院していた父親の兄にあたる僕のおじが3週間程前に亡くなり、そのことで荻窪の僕の部屋へ電話したが、何度しても出ないので不審に思い、大家に尋ねたらしい。 いつかこんな日が来るかもしれないと覚悟はしていたので、落ち着いた声で、「とても元気だから心配いらない」と答えたが、全部言いきらないうちに、「大学はどうするんだ」という父親の怒声が受話器の奥から響いた。 僕の現在の居場所を知りたがったので、「千葉の柏というところの飯場にいる」と正直に答えると、父親は呆れたような声で「何故そんな所にいるんだ」と言い、「何のために高い学費を出して大学に入れてやった」と怒鳴り、「大学へ行かないんなら仕送りは差し止めにする」と息巻いてかってに電話を切ってしまった。 電話を終えたあと、どうしたものかとしばらく僕は立ちすくんでしまった。あらかじめ予想はしていたが、現実に仕送りを止められるとなると、これから先、自ら学費を稼ぎ、自活していかなければならない。悠長に遊んでいる暇などない。 肩を落として部屋に戻ると、杉町が部屋に来ていて、木沼さんと五目並べをしていた。
「元気がないね。クズミくん」
心配そうに木沼さんが僕に声をかけた。
「いろいろありましてねぇ。悩み多き年頃ですから」
しょぼくれた声でそう答えると、
「ふられたのかな。また」
と、木沼さんが僕をからかった。僕が浮かない顔をしているとどうも女にふられたように見えるらしい。沢村に笠間由里のことを見破られた時も、こんな顔をしていたのだろうか。 その夜、3人でトランプをしながら、大学に帰ると待っている女が10人ほどいると僕はホラを吹いたが、杉町も木沼さんも僕の話にはまともにとりあわず、トランプに熱中していた。
それから3日ほど経った夜、風呂から上がったばかりのところを杉町の父親に声を掛けられた。
「健治と仲良くしてもらって……」 そう言って老人は短く刈り込んだ白髪頭を深々とさげた。年の頃は60過ぎに見えた。老人は首にタオルを巻き、灰色の埃っぽい作業服を着ていた。伏目がちで、誠実な人柄が顔に出ていた。日に焼けた顔をなぞるシワには人生の憂苦が一つひとつ刻印されているかのようだった。 丁重な物腰に恐縮し、僕も同じように頭を下げた。老人が顔を上げた時、杉町に似ていない、という印象を受けた。親子にしては何か不釣合いな感じがした。
「あの子は事故で記憶を失っていて……友達もいません……あの子といい友達になってやって下さい」
老人は途切れ途切れにそう言うと、また深々と僕に頭を下げた。 記憶喪失……あの杉町が……。僕は杉町からそんなことは一切聞かされていなかった。老人の言葉で、杉町から感じていた不可解な言動の正体がわかったような気がした。 杉町の、どこか憂いを含んだような顔も、いつも遠くを見ているような虚ろな目つきも、まるで煙を掴むようなとらえどころのない性格もそれが起因していたのかと思った。 老人と別れて部屋に戻る途中、杉町の言動の一つひとつを振り返った。杉町を覆っていた殻が破れ、そこからほんの少しだけ彼の素顔を垣間見たような気がした。 --- が、何だろう……何故か、そう言われても、何か釈然としないものが残った。何か割り切れないものが胸でくすぶって、どうにもそれが引っ掛かった。 杉町のバイクへの熱の入れようは日ごとに増すばかりだった。仕事を終え、飯場に帰り着いた僕を見るや、杉町は駆け寄りバイクを使わせてくれと催促した。それを断ろうにも断れない切迫さが杉町にはあった。 もしかして、記憶を失ったこととバイクが何か関係があるのだろうか……。ひょっとしたらバイクを自由に乗り回すことで失われた記憶の一部でも取り戻すことが出来るかもしれない。そう思い、僕は杉町の望む通りにした。 休日ともなると、ほとんど1日、杉町をバイクの後ろに乗せて遠乗りし、実地で道路標職の見方や走行テクニックを教えた。