No.13 帰らない杉町

杉町が飯場からいなくなって1ケ月近くが経っていた。僕の飯場生活もそろそろ4ケ月目に入ろうとしている。杉町のことを思い出すたびに、奴はもうここには帰って来ないのではと、日増しに気落ちしていった。

が、あと1日、もう1日だけ待てばと、気を持ち直し、ともかく杉町を信じ、待ち続けた。300万もの大金を僕を信じて預けた彼の養父のこともあり、飯場から離れることも出来なかった。

8月下旬のある日。隊長から僕の替わりの人の手配がつきそうだという話を聞かされた。隊長は約束が2ケ月も延びてしまったことを僕に詫びた。
「すまないね、クズミくん、のびのびになって。9月からね、立川の駅前のビルの工事が終って、そこから人が手配できるから」
「はあ、そうですか」僕はそれを聞いても嬉しいような悲しいような複雑な心境だった。
杉町のこと、杉町の養父から預かった大金のことがあった。それに肝心のバイクを杉町に持って行かれ、今となっては北海道行きも全く予定が立たない。

困惑の極みに立たされた。2、3日そのことで真剣に悩んだ。……新しいバイクを買っても余りある金がここにあるんだ。なんで、余計なことに悩まなきゃいけない。杉町のオヤジさんが代わりに新しいバイクを買ってくれって渡してくれたものと考えたっていい。それとも、いっそ銀行から全部おろして、フィージーあたりに飛んで豪遊してやろうか。これで株でも買って一山当てるという手だってある。そんな魔のささやきにとりつかれた。が、たわいもない妄想は実直な杉町の養父の面影を思い出すたびに打ち砕かれ、霧散した。



蒸し暑く寝苦しい夜の続いた8月も終わりに近付いたある日のことだった。
仕事を終え、疲れ切った身体に挨まみれの重い足を引きずりながら飯場へ向かっていると、僕の横をバイクがすり抜け、すぐ手前で急停車した。見覚えのあるバイクだった。所々挨をかぶって汚れてはいるが、赤と白のデザインで統一された250CCのオフロードバイク。紛れもなく以前僕が乗っていたバイクだ。

バイクに乗っていた男がおもむろにヘルメットを取った。杉町だった。前よりもいっそう日に焼け、肉づきがよくなって、頬のあたりはふっくらとしていた。杉町の顔を見て懐かしさより、腹立たしさのほうが先にこみあげてきて、

「バカ野郎、いままで何してた」と、つい僕は声を荒げてしまった。
「すまない。もっと早く帰って来るつもりだったが、免許を取ってた」
杉町は胸ポケットから自分の写真の入った免許証を取り出して見せ、詫びた。
「なかなか、抜けだせなくてな。もっと早く帰ってくるつもりだったが」
「そんなことより、大変なことになったぜ。お前が帰って来ないから」
「親父に何かあったのか」
僕はすぐに答えられなかった。あぁ、とだけ小さく返事をし、バイクの後ろに乗り、ともかく飯場に戻るよう促した。

飯場に着くと、部屋へ駆け込み、杉町の養父が残していった預金通帳と手紙を杉町に見せた。杉町は手紙をしっかり握って文面を食い入るように見つめ、何度も読み返していた。
「どうする……」
手紙にしばらく目線を落としたままの杉町に訊いた。
「だから言ったんだ。お前は芝居がへただって」
何を言っても杉町は黙ったまま、呆けたように、つっ立ったままだった。
「オヤジさん、みんな知ってたんだ。知ってて、お前の面倒を見てたんだ」
そう言うと、杉町は急に体の力が抜けたように背中を璧につけ、気の抜けたような顔をして虚ろな目を天井に這わせた。


No.14 別れ、旅立ちの日